アメリカン・コメディ好きの部屋

アメリカのコメディとコメディアンが好きです。時間がある時に更新します。

『バービー』観た。コメディ映画としては面白かったが、モヤモヤした

8月に公開されてから、タイミングが合わず観ていなかった『バービー』を観た。コメディ映画としては面白かったが、ちょっとモヤモヤが残る作品だった。以下、長文ネタバレ感想になります。

 

モヤモヤの理由その1

バービーとフェミニズムはそもそも相性が良くない

私は、堀越英美さんの著書「女の子は本当にピンクが好きなのか」を以前に読んでいた。そこでは、90年代に「(女の子だから)数学が苦手」と喋るバービー人形が発売された時、「このバービーは性別ステレオタイプを助長させる」としてフェミニストたちから抗議を受けた事があると書いてあった。これについては、マテル社は批判に対応し、改善したそうだが、それでもバービーのように「セクシーで理想化された容姿の女性像」で遊ぶ事が、女の子自身がセクシーな見た目である事を重要視したり、痩身願望が芽生えたりという、ルッキズムに通じる感性が育ちやすいのでは(大意)というような事も書いてあった。

 

『バービー』の映画の中でも、グロリアの娘サーシャに、バービーは時代遅れであるような事を言われていたと記憶するが、「痩身の金髪白人女性」は、分かりやすいステレオタイプの美人にはなっても、全ての女性をエンパワメントする存在とは言い難い所がある。もちろん、映画内には多種多様なバービーを登場させてはいるが、主役はオリジナルバービーなのだから「バービーってフェミニズムの映画だよね」と言ってしまうのは、ちょっと単純すぎ、宣伝を鵜呑みにしすぎかな、と思ったりする。

 

実際、映画の中で女性を勇気づけるのは、アメリカ・フェレーラ演じるグロリアが担当していた(ケンに支配されたバービーたちの洗脳を解くシーン)。アメリカ・フェレーラはドラマ「アグリー・ベティ」の主役が有名だが、タイトルの意味は「醜いベティ」。メガネで癖っ毛、歯列矯正器具をはめたぽっちゃり体型の女の子を演じたフェレーラは、モデル体型のおしゃれな女性にバカにされても絶対にめげない努力家。バービーとは逆のタイプだから、配役されたのだろうと思う。

 

モヤモヤの理由その2

ストーリーが今ひとつ分かりにくい

『バービー』の類似作品として、私が真っ先に思いついたのは、どちらもウィル・フェレルが出演していた『LEGO®️ムービー』と『主人公は僕だった』である。前者はLEGOワールドで働くLEGOブロックで出来た人形が世界を救う話で、LEGOワールドと人間の世界の移行がスムーズであった。後者の『主人公は僕だった』は、ある日、自分を作った作者の声が聞こえてきて、実は自分は創作物の登場人物だったと気づく話。その作者が自分(主人公)を殺そうとする声が聞こえてきて、それに抗うため、主人公は今まで取らなかったような行動をとる。後者はそこまで有名な作品ではないが、突然に「死」を意識する点や、今いる自分の世界は現実ではない、という点が『バービー』に似ていると感じた。

 

『バービー』の導入部は、ある日突然バービーが、人形の持ち主の想念にシンクロするというもの。生命を持たない人形であるバービーには本来持ち得ない考え、仏教でいう所の「老病死苦」「死」と言う概念をキャッチしてしまった。この状況をただすには、人間界に行き、持ち主をポジティブにする事が必要だ。バービーはバービーランドを1人で出発するが、ボーイフレンドのケンが勝手にくっついてきた。

バービーが人間界にたどり着くと、そこは、バービーランドの女性上位世界とは逆の世界だった。イケてる白人女性であるバービーは、すれ違う男達から、極端に性的な目で見られたり、野次を飛ばされる。また、バービーランドではケンの立場は「& ケン」の添え物だったが、人間界では白人男性というだけで尊敬される(ように見える)。

 

バービーが自分の持ち主を探す旅と、ケンが自我に目覚めてバービーランドを作り変える話が同時進行するが、後者の話は分かりやすいものの、前者は持ち主を探す手がかりとか動機が微妙で、ちょっとドラマとしては作りが弱いかなぁ、と。

 

モヤモヤの理由その3

バービーの選択とラストシーンの解釈

バービーは何故、最後に人間になる事を選んだのか、これは作品の中で明確に答えが描かれていないと思う。「バービーはどうするの?」とみんなに質問され「人間になる」事を選んでいたが、彼女の理想の楽園である「バービーランド」に戻らなかった理由は、映画本編には描かれていないと感じた。

しかし、明言はされていなかったが「人間の現実を知ってしまった為、元の楽園へは戻れない」と決断したようには見えた。つまり知恵の実をかじってしまった為、裸ではいられなくなったアダムとイブの「失楽園」のような理由である。なぜそう思うかと言うと、バービーの創造主である初代社長のルース・ハンドラーが出てきたから。アメリカ人にとって聖書は基本であるし、また「神は自分に似せてアダムを作った」とも言う。理由は曖昧だが、なんだか目覚めてしまったバービーは、ケンや仲間達をおいて、自主的に楽園を出るのである。

また、私はピンとこなかったが、人間界で出会ったベンチの老女を見て「美しい」とバービーが泣いていたシーンがあった。あれもおそらくは「バービーが人間になる理由」のひとつなのだろうと思う。多分「若くて美しい」以外の価値観を知った、と言う意味ではないかと。

 

そしてラストシーン、ビルケンシュトックのサンダルを履いたバービー(ペタンコ足になる=人形ではなくなった)が意気揚々と向かうのは「婦人科」である。これはバービーランドと人間世界へのドライブ中にかかる、インディゴガールズの挿入歌にあわせたギャグである(サビの部分「And I went to the doctor」)。それと同時に、工事現場で野次られた時に「自分もケンも人形だから性器がない(ツルペタである)」と答えた事にも呼応していると思う。人形のバービーは性的な存在ではないから、ケンとの恋愛もやんわりと拒否していたのだろう(性的欲求そのものがなさそう)。

しかし、人間になったと言う事は、現在はツルペタではなく性器も持っている筈であり、人間ならではの「病老死苦」を受け入れる事になる。だから女性として自分の体をちゃんと知るために「婦人科」へ行ったのだと思う。あのシーンは「リプロダクティブヘルスについての意識が高い」という描写であり、また「本当に人間になりました」という描写なのだと思う。

 

www.youtube.com↑ 劇中で3回流れてました。

 

しかし、この「婦人科」について深読みする人たち(主に男性)が一定数いるようで、冒頭の『2001年宇宙の旅』のパロディであるスターチャイルド(胎児)と婦人科をくっつけて「バービーが妊娠した」とか「反出生主義に対する嫌味である」とか、一足飛びに妊娠出産に結びつけている人が散見されたが、そんな深い意味は込められていないと思う。映画評論の読みすぎ、ネットの見過ぎ、解釈をこねくり回しすぎではないのか、と。

 

以上、モヤモヤの理由を長々と書きつらねたが、面白かった事、気になった事について書こうと思う。

 

面白かった事、気になった事1

アラン役のマイケル・セラのセリフ「インシンクはみんなアランだよ」

インシンク」とはジャスティン・ティンバーレイクがいたボーイズグループで、2000年代に人気だった。この「インシンクはみんなアランだよ」、オリジナルのセリフでは「NSYNC? All Allans, and no one noticed」と言っており、「誰も気づいてないけど、インシンクはみんなアランさ」が正確。インシンクには、解散後にゲイをカミングアウトしたメンバーがいるので、おそらくアランがゲイっぽいキャラクターであることから派生して、「インシンクは1人だけじゃなく、みんなアラン(ゲイ)だよ」と言うギャグを書いたのではないかと思う。

 

しかし、本当に重要なのはインシンクが全員ゲイかどうかではなく、インシンクジャスティン・ティンバーレイクライアン・ゴズリングディズニーチャンネル出身で、しかも同期である、と言う事である(ブリトニー・スピアーズクリスティーナ・アギレラも同期らしい)。つまり、ライアン・ゴズリングが『バービー』で見せた本格的な歌と踊りは、ディズニーチャンネルで鍛え上げられた賜物なのだ。頑張りすぎてて面白かったけど、なんだかバービーの存在感が、かすんだ気がしないでもない。

 

インシンクネタで、もうひとつ面白いのは、彼らの「It's Gonna Be Me」というMV。箱に入ったインシンク人形が人形売り場に並べられているシーンから始まり、途中にグラマーなバービーっぽい人形達と遊んでいる箇所もある。このMVの冒頭に薄く流れているインシンクの別のヒット曲「Bye Bye Bye」のMVと内容が繋がっており、どちらも名品。

 

www.youtube.com

www.youtube.com

 

面白かった事、気になった事2

学校のシーンに出てきたコメディエンヌと妊婦バービー

バービーが人間界で最初に行った学校シーン、ここで学校にいる保護者役としてブライズメイズ 史上最悪のウェディングプランの脚本家(本編に出演もしてる)アニー・マモローがチラッと出演していた。『ブライズメイズ』は大ヒットし、コメディ映画には珍しくアカデミー脚本賞にノミネートされている、女性による女性の映画の大傑作である。『バービー』では、アニー・マモローはちょっとだけ映って、その後出てこなかったので、話の流れでカットされたのかもしれないが、IMDBをみると、キャストにいるので、私の見間違いではないと思う。

アニー・マモローは『ブライズメイズ』の主役を演じたクリステン・ウィグ大親友で、ウィグと同じグラウンドリングスというスケッチコメディ劇団の卒業生。最近では、クリステンとのW主演映画バーブ&スター ヴィスタ・デル・マールへ行く』や、『ブライズメイズ』のゲスな色男ジョン・ハムが主演した『フレッチ/死体のいる迷路』などに出演している。彼女がコメディエンヌとして面白いのかどうか、私はまだ正直ピンとこないが、『ブライズメイズ』の脚本を書いた、というこの一点だけで、リスペクトの対象である。

 

また、同じ学校のシーンで、ケンと喋るぽっちゃりした女性がいたが(確か時刻を聞いていた)この女性に見覚えがあったので、調べてみると、SNLに出ていたローレン・ホルトというコメディエンヌだった。ただ、彼女はSNLで目立った活躍をする事なく1シーズンで去っていたので、名前までは覚えていなかった。ここ数年のSNLは正直、レギュラーメンバーが多すぎて渋滞しており、新人が活躍する場が少なかったと思うので、むべなるかな、という気持ちになる。

 

それと、コメディエンヌではないが、気になるのは、妊婦のバービー役を演じていたエメラルド・フェネル。フェネルは、大傑作『プロミシング・ヤング・ウーマン』の脚本と監督をした女性。『プロミシング・ヤング・ウーマン』は、純粋なコメディ映画ではないが、『バービー』の世界とある意味、接点がある。

まず、バービーが人間世界に出てきた時、工事現場の親父に野次られるシーンが『プロミシング・ヤング・ウーマン』と似ているのは、誰もが気づく事だと思う。それ以外の共通点は、ゴズリングと同じディズニーチャンネル出身のブリトニー・スピアーズの曲「Toxic」が流れる事、マイケル・セラ『スーパーバッド 童貞ウォーズ』で共演したクリストファー・ミンツ・プラッセがナンパ男として出演している事、ウィル・フェレルSNLで共演していたモリー・シャノンが友達の母親役で出演している事など。ちなみに、モリーウィル・フェレルは『スーパースター 爆笑スター誕生計画』というSNLのスケッチから派生したコメディ映画のW主演もしている。

また『プロミシング・ヤング・ウーマン』は公開当時に「キャリー・マリガンではなく本作のプロデューサーであるマーゴット・ロビーが演じるべきだった」と言うレビュー記事がVariety誌に出た事があり、マリガン本人が憤慨して反論した、と言うゴシップもあった(このレビューを書いた人は、マリガンの派手な看護婦コスプレからハーレイ・クインを想起したのかもしれないが、ポイントがズレてる気がする)。

 

いずれも小ネタではあるが、『プロミシング・ヤング・ウーマン』も『ブライズメイズ』もベクトルは違えど、女性が製作に関わった女性による傑作映画なので、グレタ・ガーウィグのリスペクトのあらわれなのではないかと思う。

 

 

長々と書いたが、バービーよりもケンの苦悩の方が分かりやすく、バービーの選択がイマイチ分かりづらいと言う、作品上の欠点はあるものの、目に楽しく、ギャグは下らなく、ダンスは面白く、と映画館で観て満足できる作品ではあった(なんか偉そう)。ケンのライバル役、シム・リウの強気な表情も非常に良かったです。